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日本人文書紀。
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天皇曰:「天神子亦多耳。汝所為君,是實天神之子者,必有表物しるしのもの。可相示之。」長髓彥即取饒速日命之天羽羽矢あまのははや一隻及步靫かちゆき,以奉示天皇。天皇覽之曰:「事不虛まこと也。」還以所御天羽羽矢一隻及步靫,賜示於長髓彥。長髓彥見其天表あまつしるし,益懷踧踖おぢかしこまる。然而凶器つはもの已構,其勢不得中休,而猶守迷圖,無復改意。
饒速日命本知天神慇懃ねもころ,唯天孫是與。且見夫長髓彥稟性愎佷ひととなりもとり,不可教以天人之際きみたみのあひだ。乃殺之,帥其眾而歸順焉まつろひぬ。天皇素聞饒速日命是自天降者,而今果立忠效たたしきいさをし,則褒而寵之。此物部氏もののべのうぢ之遠祖也。
六、平定大和
己未年,春二月壬辰朔辛亥廿,命諸將練ととのふ士卒。是時層富縣波哆丘岬そほのあがたのはたのをかさき有新城戶畔にしきとべ者,【丘岬,此云をかさき塢介佐棄。】又和珥坂下わにのさかもと有居勢祝こせのはふり者,【坂下,此云さかもと瑳伽梅苔。】臍見長柄丘岬ほそみのながらのをかさき有豬祝ゐのはふり者。此三處土蜘蛛つちぐも,並恃其勇力,不肯來庭。天皇乃分遣偏師かたいくさ皆誅之。
又高尾張邑有土蜘蛛。其為人也,身短而手足長,與侏儒ひきひと相類。皇軍結葛網かづらのあみ而掩襲殺之。因改號其邑曰葛城かづらき。夫磐余いはれ之地,舊名片居かたゐ,【片居,此云かたゐ伽哆韋。】亦曰片立。【片立,此云かたたち伽哆哆知。】逮我皇師之破虜也,大軍集而滿いはめり於其地,因改號為磐余。
或曰,天皇往嘗嚴瓮糧,出軍西征。是時磯城八十梟帥於彼處屯聚居之いはみゐたり。【屯聚居,此云いはみゐ怡波瀰萎。】果與天皇大戰,遂為皇師所滅。故名之曰磐余邑いはれのむら。
又皇師立誥たけび之處是謂猛田たけた,作城處號曰城田きた。又賊眾戰死而殭屍たふれしかばね,枕臂ただむき處呼為頰枕田つらまきた。天皇以前年さきつとし秋九月,潛取天香山之埴土以造八十平瓮,躬自齋戒ものいみ祭諸神,遂得安定區宇あめのした。故號取土之處曰埴安はにやす。
葛城一言主神社 土蜘蛛塚
葛城一言主神社 土蜘蛛塚
高尾張邑有土蜘蛛,身短而手足長。皇軍結葛網而殺之,故名葛城。
橿原神宮
橿原神宮 搏風
搏風者,千木之下合掌形處也。然下文「峻峙搏風於高天之原」者,則并指千木、搏風之高聳而言。
三月辛酉朔丁卯七,下令曰:「自我東征於茲六年矣。賴以皇天あまつかみ之威,凶徒就戮あたころされぬ。雖邊土未清しづまらず,餘妖尚梗なほしこはし,而中洲之地うちつつち無復風塵。誠宜恢廓皇都,規摹大壯。而今運屬此屯蒙,民心朴素おほみたからのこころすなほなり,巢棲穴住,習俗しわざ惟常。夫大人ひじり立制,義ことわり必隨時。茍有利かが民,何妨聖造ひじりのわざ。且當披拂山林,經營つくりいとなみ宮室,而恭臨寶位たかみくら,以鎮元元おほみたから。上則答乾靈あまつかみ授國之德うつくしび,下則弘皇孫養正之心。然後兼六合以開都,掩八紘あめのした而為宇いへ,不亦可乎。觀夫畝傍山うねびやま東南橿原かしはら地者,【畝傍山,此云うねびやま宇禰縻夜摩。】蓋國之墺區くむしら乎。可治之。」
是月,即命有司つかさ,經始帝宅おほみや。
庚申年,秋八月癸丑朔戊辰十六,天皇當立正妃むかひめ,改廣求華胄。時有人奏之曰:「事代主神ことしろぬしのかみ共三嶋溝橛耳神みしまのみぞくひみみのかみ之女玉櫛媛たまくしひめ所生兒,號曰媛蹈韛五十鈴媛命。是國色之秀者かほすぐれたるひと。」天皇悅之。
九月壬午朔乙巳廿四,納媛蹈韛五十鈴媛命ひめたたらいすずひめのみこと以為正妃。
八、即位立后
辛酉年,春正月庚辰朔一,天皇即帝位あまつひつぎしろしめす於橿原宮かしはらのみや。是歲為天皇元年すめらみことのはじめのとし,尊正妃為皇后きさき。
生皇子,神八井命かむやゐのみこと、神渟名川耳尊かむぬなかはみみのみこと。
故,古語ふること稱之曰:「於畝傍之橿原也,太立宮柱於底磐之根そこついはね,峻峙搏風ちぎたかし於高天之原たかまのはら,而始馭天下之はつくにしらす天皇。」號曰神日本磐余彥火火出見天皇かむやまといはれびこほほでみのすめらみこと焉。
初天皇草創天基あまつひつぎ之日也,大伴氏之遠祖道臣命帥大來目部,奉承密策しのびのはかりこと,能以諷歌そへうた、倒語さかしまごと,掃蕩妖氣わざはひ。倒語之用,始起乎茲。
二年,春二月甲辰朔乙巳二,天皇定功行賞。
賜道臣命宅地いへところ,居于築坂邑つきさかのむら,以寵異之ことにめぐみたまふ。
亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地。今號來目邑くめのむら,此其緣也。
以珍彥為倭國造やまとのくにのみやつこ。【珍彥,此云うづひこ于砮毘故。】
又給弟猾猛田邑たけたのむら,因為猛田縣主たけたのあがたぬし。是菟田主水部うだのもひとりら遠祖也。
弟磯城,名黑速くろはや,為磯城縣主しきのあがたぬし。
復以劍根つるぎね者為葛城國造かづらきのくにのみやつこ。
又頭八咫烏,亦入賞例たまもののためし。其苗裔のち即葛野主殿縣主部かづののとのもりのあがたぬしら是也。
四年,春二月壬戌朔甲申廿三,詔曰:「我皇祖之靈也,自天降鑑くだりみそこなはし,光助朕躬。今諸虜已平,海內あめのした無事。可以郊祀まつり天神,用申大孝おやにしたがふこと者也。」乃立靈畤まつりのには於鳥見山とみのやま中,其地號曰上小野榛原うへつをののはりはら、下小野榛原したつをののはりはら,用祭皇祖天神焉。
三十有一年,夏四月乙酉朔一,皇輿巡幸すめらみことめぐりいでます。因登腋上嗛間丘わきがみのほほまのをか,而迴望國狀くにのさまをめぐらしのぞみ曰:「妍哉あなにや乎國之獲くにえつる矣!【妍哉,此云あなにや鞅奈珥夜。】雖內木綿うつゆふ之真迮國まさきくに,猶如蜻蛉あきづ之臀呫となめせる焉。」由是始有秋津洲あきづしま之號也。昔伊奘諾尊いざなぎのみこと目此國曰:「日本やまと者,浦安國うらやすのくに,細戈千足國くはしほこのちだるくに,磯輪上秀真國しわかみのほつまくに。【秀真國,此云ほつまくに袍圖莽句儞。】」復大己貴大神おほあなむちのおほかみ目之曰:「玉牆內國たまかきのうちつくに。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛おほぞらをかけめぐり也,睨是鄉而降之。故因目之曰:「虛空見日本國そらみつやまとのくに矣。」
四十有二年,春正月壬子朔甲寅三,立皇子神渟名川耳尊為皇太子ひつぎのみこ。
七十有六年,春三月甲午朔甲辰十一,天皇崩かむあがり于橿原宮。時年一百二十七歲。
明年くるつとし,秋九月乙卯朔丙寅十二,葬畝傍山東北陵うねびやまのうしとらのみさざき。
日本書紀卷第三 終
橿原神宮
傳神武天皇奈良畝傍山橿原宮跡
神武天皇登腋上嗛間丘迴望國狀
皇輿巡幸,遂發蜻蛉國【秋津洲】之詔
神武天皇 畝傍山東北陵
【久遠の絆】 【卷第二】 【卷第四】 【再臨詔】
日本書紀 卷第四 欠史八代紀
【綏靖】【安寧】【懿德】【孝昭】【孝安】【孝靈】【孝元】【開化】
神渟名川耳天皇かむぬなかはみみのすめらみこと 綏靖天皇すいぜいてんわう
一、神渟名川耳天皇 綏靖天皇
神渟名川耳天皇かむぬなかはみみのすめらみこと,神日本磐余彥かむやまといはれびこ天皇第三子也。母曰媛蹈韛五十鈴媛命ひめたたらいすずひめのみこと,事代主神ことしろぬしのかみ之大女えむすめ也。
天皇風姿岐嶷きぎよく,少有雄拔之氣ををしきいきさし。及壯容貌魁偉,武藝過人,而志向沈毅。
至四十八歲,神日本磐余彥天皇崩。時神渟名川耳尊かむぬなかはみみのみこと孝性純深,悲慕無已。特留心於喪葬之事みはぶりのわざ焉。其庶兄手研耳命たぎしみみのみこと,行年已長,久歷朝機。故亦委事而親之。然其王,立操厝懷,本乖仁義,遂以諒闇之際,威福自由ほしきまま。苞藏つつみ禍心,圖害二弟。于時也,太歲己卯。
冬十一月,神渟名川耳尊與兄神八井耳命かむやゐみみのみこと,陰知其志,而善防之。至於山陵事みさざきのわざ畢,乃使弓部稚彥ゆげのわかひこ造弓,倭鍛部天津真浦やまとのかぬちあまつまうら造真麛鏃まかごのやさき,矢部やはき作箭。及弓矢既成,神渟名川耳尊欲以射殺手研耳命。會有手研耳命於片丘大窨かたをかのおほむろ中,獨臥于大牀おほとこ。時渟名川耳尊ぬなかはみみのみこと謂神八井耳命曰:「今適其時也。夫言貴密、事宜慎。故我之陰謀ひそかなるはかりこと,本無預者。今日之事,唯吾與爾自行之耳。吾當先開窨戶,爾其射之。」因相隨進入,神渟名川耳尊突開其戶。神八井耳命則手腳戰慄てあしをののき,不能放矢。
時神渟名川耳尊,掣取ひきとり其兄所持弓矢,而射手研耳命。一發中胸,再發中背,遂殺之。於是神八井耳命懣然自服もだえてしたがひ,讓於神渟名川耳尊曰:「吾是乃いまし兄,而懦弱をぢなく不能致果。今汝特挺神武すぐれてたけく,自誅元惡あたをつみなふ。宜哉乎!汝之光臨天位たかみくら以承皇祖之業みおやのつぎ。吾當為汝輔之,奉典つかさどりまつらむ神祇者。」是即多臣おほのおみ之始祖はじめのおや也。
元年,春正月壬申朔己卯八,神渟名川耳尊即天皇位あまつひつぎしろしめす。都葛城かづらき,是謂高丘宮たかをかのみや。
尊皇后五十鈴媛曰皇太后おほきさき。是年也,太歲庚辰。
二年,春正月,立五十鈴依媛いすずよりひめ為皇后きさき。【一書あるふみ云,磯城縣主しきのあがたぬし女川派媛かはまたひめ。一書云,春日縣主大日諸かすがのあがたぬしおほひもろ女絲織媛いとりひめ也。】即天皇之姨みをば也。
后生,磯城津彥玉手看天皇しきつひこたまてみのすめらみこと。
四年,夏四月,神八井耳命薨かむさり。即葬于畝傍山うねびやま北。
二十五年,春正月壬午朔戊子七,立皇子磯城津彥玉手看尊為皇太子ひつぎのみこ。
三十三年,夏五月,天皇不豫みやまひ。
癸酉,崩かむあがり。時年八十四。
神武天皇畝傍山東北陵 奈良橿原神宮近郊
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