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日本人文書紀。
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妃,伊香色謎命いかがしこめのみこと。
生,彥太忍信命ひこふつおしのまことのみこと。
次妃,河內青玉繫かふちのあをたまかけ女埴安媛はにやすひめ。
生,武埴安彥命たけはにやすびこのみこと。
兄,大彥命,是阿倍臣あへのおみ、膳臣かしはでのおみ、阿閉臣あへのおみ、狹狹城山君ささきやまのきみ、筑紫國造つくしのくにのみやつこ、越國造こしのくにのみやつこ、伊賀臣いがのおみ,凡七族ななやから之始祖也。彥太忍信命,是武內宿禰たけうちのすくね之祖父也。
二十二年,春正月己巳朔壬午十四,立稚日本根子彥大日日尊わかやまとねこひこおほびびのみこと為皇太子。年十六。
五十七年,秋九月壬申朔癸酉二,大日本根子彥國牽天皇崩。
奈良縣北葛城郡王寺町本町
孝靈天皇 片丘馬坂陵
片丘馬坂,古事記稱:「片岡馬坂上。」『延喜式』:「黑田廬戶宮御宇孝靈天皇。在大和國葛下郡,兆域東西五町,南北五町,守戶五烟。」
奈良縣橿原市見瀨町
牟佐坐神社
傳孝元天皇輕地境原宮跡。
矢先稻荷神社 大彥命像
矢先稻荷神社 大彥命像
稚日本根子彥大日日天皇わかやまとねこひこおほびびのすめらみこと 開化天皇かいくわてんわう
率川神社
春日率川宮,比鄰此社。
奈良縣橿原市石川町
孝元天皇 劍池嶋上陵
劍池嶋上,古事記稱:「劍池中岡上。」『延喜式』:「輕境原宮御宇孝元天皇。在大和國高市郡,兆域東西二町,南北一町,守戶五烟。」
奈良市油阪町
開化天皇 春日率川坂本陵
按『延喜式』:「春日率川宮御宇開化天皇。在大和國添上郡,兆域東西五段,南北五段。以在京戶十烟,每年差充令守。」
稚日本根子彥大日日天皇わかやまとねこひこおほびびのすめらみこと,大日本根子彥國牽天皇第二子也。母曰鬱色謎命,穗積臣ほづみのおみ遠祖鬱色雄命うつしこをのみこと之妹おと也。
天皇以大日本根子彥國牽孝元天皇二十二年春正月,立為皇太子。年十六。
五十七年,秋九月,大日本根子彥國牽天皇崩かむあがり。
冬十一月辛未朔壬午十二,太子即天皇位。
元年,春正月庚午朔癸酉四,尊皇后鬱色謎曰皇太后。
冬十月丙申朔戊申十三,遷都于春日かすが之地,是謂率川宮いざかはのみや。【春日,此云かすが箇酒鵝。率川,此云いざかは伊社箇波。】是年也,太歲甲申きのえさる。
五年,春二月丁未朔壬子六,葬大日本根子彥國牽天皇于劍池嶋上陵つるぎいけのしまのへのみさざき。
六年,春正月辛丑朔甲寅十四,立伊香色謎命為皇后。【是庶母ままはは也。】
后生,御間城入彥五十瓊殖天皇みまきいりびこいにゑのすめらみこと。
先是,天皇納丹波竹野媛たにはのたかのひめ為妃。
生,彥湯產隅命ひこゆむすみのみこと。【亦名,彥蔣簀命ひここもすのみこと。】
次妃,和珥臣わにのおみ遠祖姥津命ははつのみこと之妹姥津媛ははつひめ。
生,彥坐王ひこいますのみこ。
二十八年,春正月癸巳朔丁酉五,立御間城入彥尊みまきいりびこいにゑのみこと為皇太子。年十九。
六十年,夏四月丙辰朔甲子九,天皇崩。
冬十月癸丑朔乙卯三,葬于春日率川坂本陵かすがのいざかはさかもとのみさざき。【一云,坂上陵さかのへのみさざき。時年百十五。】
日本書紀卷第四 終
【久遠の絆】 【卷第三】 【卷第五】 【再臨詔】
日本書紀 卷第五 崇神紀
御間城入彥五十瓊殖天皇みかきいりびこいにゑのすめらみこと 崇神天皇すうじんてんわう
奈良縣櫻井市金屋 志貴御縣坐神社境內
崇神天皇 磯城瑞籬宮址
崇神帝者,考古可証之最初天皇。神武紀皇紀元年辛酉條稱「於畝傍之橿原也,太立宮柱於底磐之根,峻峙搏風於高天之原,而始馭天下之天皇。」此「始馭天下はつくにしらす之天皇」者,音同崇神「御肇國はつくにしらす天皇」之號,遂有神武、崇神同一之說。瑞籬宮址,今在奈良櫻井市金屋式內社志貴御縣坐神社西。
御間城入彥五十瓊殖天皇みかきいりびこいにゑのすめらみこと,稚日本根子彥大日日天皇第二子也。母曰伊香色謎命いかがしこめのみこと,物部氏もののべのうぢ遠祖大綜麻杵おほへそき之女也。
天皇年十九歲,立為皇太子ひつぎのみこ。識性聰敏,幼好雄略ををしき。既壯をとこざかり,寬博謹慎,崇重神祇あまつかみくにつかみをあがめたまひ,恒有經綸天業あまつひつぎ之心焉。
六十年,夏四月,稚日本根子彥大日日天皇わかやまとねこひこおほびびのすめらみこと崩。
元年,春正月壬午朔甲午十三,皇太子即天皇位。尊皇后伊香色謎曰皇太后。
二月辛亥朔丙寅十六,立御間城姬みまきひめ為皇后。
先是,后生活目入彥五十狹茅天皇いくめいりびこいさちのすめらみこと、彥五十狹茅命ひこいさちのみこと、國方姬命くにかたひめのみこと、千千衝倭姬命ちちつくやまとひめのみこと、倭彥命やまとひこのみこと、五十日鶴彥命いかつるひこのみこと。
又妃,紀伊き國荒河戶畔あらかはとべ女遠津年魚眼眼妙媛とほつあゆめまぐはしひめ。【一云,大海宿禰おほあまのすくね女八坂振天某邊やさかふるあまいろべ。】
生,豐城入彥命とよきいりびこのみこと、豐鍬入姬命とよすきいりびめのみこと。
次妃,尾張大海媛をはりのあほあまひめ。
生,八坂入彥命やさかのいりびこのみこと、渟名城入姬命ぬなきのいりびめのみこと、十市瓊入姬命とをちにいりびめのみこと。是年也,太歲甲申。
三年,秋九月,遷都於磯城しき,是謂瑞籬宮みづかきのみや。
四年,冬十月庚申朔壬午廿三,詔曰:「惟我皇祖、諸天皇等光臨宸極あまつひつぎをしらしめしし者,豈為一身ひとはしら乎?蓋所以司牧ととのへ人神,經綸をさめ天下,故能世闡玄功,時流至德。今朕奉承大運あまつひつぎ,愛育黎元おほみたからをめぐみやしなふ,何當聿つひに遵皇祖之跡,永保無窮之祚きはまりなきあまつひつぎ?其群卿百僚まへつきみたちももつかさたち竭爾忠貞まこと,共安天下,不亦可乎!」
二、疾疫流行與敬神祭祀
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