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日本人文書紀。
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次,稻飯命。
次,神日本磐余彥火火出見尊。
次,稚三毛野命わかみけののみこと。
一書第四曰:先生,彥五瀨命。
次,磐余彥火火出見尊いはれびこほほでみのみこと。
次,彥稻飯命ひこいなひのみこと。
次,三毛入野命。
日本書紀卷第二 終
宮崎神宮藏 平澤定人筆 鵜戶宮居
鵜戶宮居玉依姬、鸕鶿草葺不合尊
豐玉姬當產時,化為八尋熊鰐,遂以見辱為恨,閉海途而徑歸海鄉。留其女弟玉依姬,持養兒焉,是乳母之緣也。鸕鶿草葺不合尊,後娶玉依姬為妃,遂生神武天皇。
鹿兒島縣鹿屋市吾平町 吾平山上陵
鹿兒島 吾平山上陵
傳吾平山上陵跡者,實明治御宇所定,蓋有所疑。何以,『延喜式』諸陵寮云:「日向吾平山上陵。【彥波瀲武鸕鶿草不葺合尊。在日向國,無陵戶。】」是知平安之世,陵戶所在,已無可考。除此處外,鵜戶神宮近郊速日峯山上,亦有吾平山上陵參考地。
【久遠の絆】 【卷第一】 【卷第三】 【再臨詔】
日本書紀 卷第三 神武紀
神日本磐余彥天皇かむやまといはれびこのすめらみこと 神武天皇じんむてんわう
日向美美津 神武天皇御船出乃地碑
日向美美津 神武天皇御船出地碑
傳神武帝親率皇子,舟師東征始發之地。亦有日本海軍發祥地碑。
菊池容齋『前賢故實』椎根津彥
椎根津彥 菊池容齋『前賢故實』
佐賀關半島 早吸日女神社
早吸日女神社
珍彥于速吸之門,執椎㰏而為海導者,遂賜名椎根津彥。神武天皇踐祚之日,以功賜為倭國造。
一云,皇軍遇急流於速吸門,斷為龍神祟。海女黑砂、真砂姊妹入海取劍,奉神武帝而氣絕,故以其龍神劍為神體,建此社以追思。
神日本磐余彥天皇かむやまといはれびこのすめらみこと,諱彥火火出見ひこほほでみ,彥波瀲武鸕鶿草葺不合尊ひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと第四子也。母曰玉依姬たまよりひめ,海童わたつみ之少女おとむすめ也。
天皇生而明達さかし,意礭如かたく也。
年十五,立為太子ひつぎのみこ。
長而娶日向ひむか國吾田あた邑吾平津媛あひらつひめ為妃。
生,手研耳命たぎしみみのみこと。
及年四十五歲,謂諸兄弟及子等曰:「昔我天神高皇產靈尊たかみむすひのみこと、大日孁尊おほひるめのみこと,舉此豐葦原瑞穗國とよあしはらのみづほのくに,而授我祖彥火瓊瓊杵尊ひこほのににぎのみこと。於是火瓊瓊杵尊,闢天關あまのと,披雲路,驅仙蹕みさきはらひ,以戾止。是時運屬鴻荒,時鍾草昧。故蒙以養正,治此西偏にしのほとり。皇祖皇考おほみおや,乃神乃聖,積慶重暉,多歷年所。自天祖降跡あまくだり以逮,于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼𨗿之地とほくはるかなるつち,猶未霑於王澤みうつくしび。遂使邑有君,村ふれ有長をさ,各自分疆,用相凌躒。抑又,聞於鹽土老翁しほつちのをぢ曰:『東有美地うましつち。青山四周よもにめぐれり。其中,亦有乘天磐船あまのいはふね而飛降者。』余謂,彼地必當足以恢弘大業あまつひつぎ,光宅天下,蓋六合之中心くにのもなか乎。厥飛降者,謂是饒速日にぎはやひ歟。何不就而都之乎?」諸皇子みこ對曰:「理實灼然ことわりいやちこなり,我亦恒以為念。宜早行之。」是年也,太歲甲寅。
其年冬,十月丁巳朔辛酉五,天皇親帥諸皇子、舟師ふないくさ東征。
至速吸之門はやすひなと。時有一漁人あま,乘艇をぶね而至。天皇招之,因問曰:「汝誰也?」對曰:「臣是國神くにつかみ,名曰珍彥うづひこ。釣魚於曲浦わだのうら,聞天神あまつかみ子來,故即奉迎。」又問之曰:「汝能為我導耶?」對曰:「導之矣。」天皇敕授漁人椎㰏しひさを末令執,而牽納於皇舟,以為海導者わたのみちびき。乃特賜名,為椎根津彥しひねつひこ。【椎,此云しひ辭毘。】此即倭直部やまとのあたひら始祖也。
行至筑紫つくし國菟狹うさ。【菟狹者地名也,此云うさ宇佐。】時有菟狹國造うさのくにのみやつこ祖,號曰菟狹津彥うさつひこ、菟狹津媛うさつひめ。乃於菟狹川上,造一柱騰宮而奉饗焉みあへたてまつる。【一柱騰宮,此云あしひとつあがりのみや阿斯毘苔徒鞅餓離能宮。】是時敕以菟狹津媛,賜妻之於侍臣まへつきみ天種子命。天種子命あまのたねこのみこと,是中臣氏なかとみのうぢ之遠祖とほつおや也。
十有一月丙戌朔甲午九,天皇至筑紫國岡水門をかのみなと。
十有二月丙辰朔壬午廿七,至安藝國あぎのくに,居于埃宮えのみや。
乙卯年,春三月甲寅朔己未六,徙入吉備國きびのくに,起行館かりみや以居之。是曰高嶋宮たかしまのみや。積三年間,脩舟檝ふね,蓄兵食かて,將欲以一舉而平天下也。
戊午年,春二月丁酉朔丁未十一,皇師みいくさ遂東ひむかしのかた,舳艫ともへ相接。方到難波之碕なにはのみさき,會有奔潮はやなみ太急,因以名為浪速國なみはやのくに,亦曰浪花なみはな。今謂難波,訛よこなまる也。【訛,此云よこなまる與許奈磨盧。】
三月丁卯朔丙子十,遡流而上,徑至河內かふち國草香くさか邑青雲白肩之津あをくものしらかたのつ。
二、皇軍進擊─靈劍韴靈、頭八咫烏
夏四月丙申朔甲辰九,皇師勒兵步趣龍田たつた。而其路狹嶮,人不得並行。乃還,更欲東踰膽駒山いこまのやま,而入中洲うちつくに。時長髓彥ながすねびこ聞之曰:「夫天神子等所以來者,必將奪我國!」則盡起屬兵いくさ,徼之さいぎり於孔舍衛坂くさゑのさか,與之會戰。有流矢いたやぐし,中五瀨命いつせのみこと肱脛,皇師不能進戰。天皇憂之,乃運神策於沖衿曰:「今我是日神子孫うみのこ,而向日征虜,此逆天道也。不若,退還示弱,禮祭神祇あまつかみくにつかみ,背負日神之威みいきほひ,隨影壓躡おそひふまむ。如此,則曾不血刃やきばをちぬらず,虜必自敗矣。」僉曰:「然。」於是令軍中曰:「且停,勿須復進。」乃引軍還,虜亦不敢逼。卻至草香之津くさかのつ,植盾而為雄詰をたけび焉。【雄詰,此云をたけび烏多雞縻。】因改號其津曰盾津たてつ。今云蓼津たでつ,訛也。初孔舍衛くさゑ之戰,有人隱於大樹而得免難,仍指其樹曰:「恩如母おも。」時人因號其地曰母木邑おもきのむら。今云飫悶迺奇おものき,訛也。
五月丙寅朔癸酉八,軍至茅渟山城水門ちぬのやまきのみなと。【亦名,山井水門やまのゐのみなと。茅渟,此云ちぬ智怒。】時五瀨命矢瘡いたやぐしのきず痛甚,乃撫劍而雄詰之曰:「慨哉うれたきかや!大丈夫ますらを被傷於虜手,將不報而死耶!【撫劍,此云つるぎのたかみとりしばる都盧耆能多伽彌屠利辭魔屢。慨哉,此云うれたきかや宇黎多棄伽夜。】」時人因號其處曰雄水門をのみなと。進到于紀國きのくに竈山,而五瀨命薨かむさり于軍。因葬竈山かまやま。
六月乙未朔丁巳廿三,軍至名草邑なぐさのむら,則誅名草戶畔なぐさとべ者。【戶畔,此云とべ妬鼙。】遂越狹野さの而到熊野神邑くまののみわのむら,且登天磐盾あまのいはたて,仍引軍漸進。海中卒遇暴風あからしまかぜ,皇舟漂蕩。時稻飯命いなひのみこと乃歎曰:「嗟乎!吾祖則天神,母則海神わたつみ。如何厄たしなめ我於陸くが,復厄我於海乎?」言訖,乃拔劍入海,化為鋤持神さひもちのかみ。三毛入野命みけいりののみこと亦恨之曰:「我母及姨をば並是海神。何為起波瀾なみ以灌溺おぼほれ乎?」則蹈浪秀なみのほ而往乎常世鄉とこよのくに矣。
天皇獨與皇子手研耳命帥軍而進,至熊野荒坂津あらさかのつ。【亦名,丹敷浦にしきのうら。】因誅丹敷戶畔にしきとべ者。時神吐毒氣あしきけ,人物咸瘁ひとことごとくにをえぬ,由是皇軍不能復振。時彼處有人,號曰熊野高倉下たかくらじ。忽夜夢:「天照大神あまてらすおほみかみ謂武甕雷神たけみかづちのかみ曰:『夫葦原中國あしはらのなかつくに,猶聞喧擾之響焉さやげりなり。【聞喧擾之響焉,此云さやげりなり左揶霓利奈離。】宜汝更往而征之。』武甕雷神對曰:『雖予不行,而下予平國之劍くにむけしつるぎ,則國將自平矣。』天照大神曰:『諾。【諾,此云うべなり宇每那利。】』時武甕雷神登すなはち謂高倉たかくらじ曰:『予劍號曰韴靈ふつのみたま。【韴靈,此云ふつのみたま赴屠能瀰哆磨。】今當置汝庫裏,宜取而獻之天孫あめみま。』高倉曰:『唯唯をを。』」而寤之めざめぬ。明旦くるつあした,依夢中教,開庫視之,果有落劍,倒立於庫底板しきいた,則取以進之。于時,天皇適寐よくいねませり,忽然而寤之曰:「予何長眠若此乎?」尋而中毒士卒いくさびと悉復醒起。
既而皇師欲趣中洲,而山中嶮絕,無復可行之路,乃棲遑しじまひ不知其所跋涉ふみわたる。時夜夢よるいめ:「天照大神訓于天皇曰:『朕今遣頭八咫烏やたからす。宜以為鄉導者くにのみちびき。』」果有頭八咫烏,自空翔降。天皇曰:「此烏之來,自叶祥夢よきいめ。大哉!赫さかり矣!我皇祖天照大神,欲以助成基業あまつひつぎ乎。」是時大伴氏おほとものうぢ之遠祖日臣命ひのおみのみこと,帥大來目おほくめ,督將いくさのきみ元戎おほつはもの,蹈山啟行,乃尋烏所向,仰視而追之。遂達于菟田下縣うだのしもつあがた。因號其所至之處曰菟田穿邑うかちのむら。【穿邑,此云うかちのむら于介知能務羅。】于時敕譽日臣命曰:「汝忠まめ而且勇いさみ,加有能導之功よくみちびきのいさをし。是以改汝名為道臣みちのおみ。」
神武天皇孔舍衛坂顯彰碑
雄水門聖跡顯彰碑
皇師戰長髓彥於孔舍衛坂,五瀨命中流矢。至雄水門,矢瘡痛甚,撫劍雄詰,薨於竈山。
熊野速玉大社 熊野神邑 熊野速玉大社 三重縣紀勢町錦 熊野灘 熊野丹敷浦
『和名抄』云,志摩國英虞郡二色鄉
熊野本宮大社神紋 頭八咫烏
日臣命隨烏所向,以導皇師。
菟田血原
今奈良縣宇陀郡菟田野町
來目歌其一:「菟田高城狩場間 欲捕鴫鳥張羂網 吾雌伏且待 欲獲鴫而鴫不至 反得勇細鯨 身陷羂網為所捕 假令老前妻 今來乞肴者 予若立柧棱 柧棱之實寥無幾 刨取幾許聊與之 假令稚後妻 今來乞肴主 出若櫟予之 櫟之實兮豐且富 幾許刨取盛與之」【此謂,網設菟田高城間,欲獲鴫而不為擒,反得鯨兮自投網。前妻若乞肴,則與寡肉如柧棱。後妻若乞肴,則與豐肉如櫟實。】
菟田高城跡地
菊池容齋『前賢故實』道臣
道臣命 菊池容齋『前賢故實』
道臣本名日臣,以能導之功,賜名道臣。為大伴氏遠祖。
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